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減らして増える

Category : 日記
USTREAMでヤンシュバンクワイネルさんの講話をみました。すごい世界だた。

「自己検閲は人を家畜にする」って言葉が出たとき、ビートたけしさんの、
「感情というのは抑えるのが当然なのに解放するのがいいって風潮になってしまった」
的な言葉を思い出した。これはどっちをとるっていう話じゃないと思うけど。

シュバンクワイネルさんは映画監督で、なんだか人の食べる行為に対する視点が特徴的らしいです。
そこで食物連鎖で考えてみたんだけど、自己検閲は家畜というよりは植物のシステムだね。

芸術性はみんなの内にあってそれは太陽で、芸術家は太陽そのものと同じだとするなら、
芸術と文化の違いは「熱をそのまま吐き出す」のか、それを元に「違う活動をする」のか、なのかも。
芸術はたまったものを吐き出す行為で、文化は、エネルギーを別の力に変える行為ってことかも知れません。

そうすると芸術家にとってクワイネルさんが言った自己検閲っていうものは活動の邪魔でしかないけれど、
文化活動的には、自己検閲はむしろ自分が文化的たりえるためのシステムなんじゃないだろうか。
家畜というよりは草、っていうのは、文化は芸術のエネルギーを受けて育つ草だよねっていう考えからきてます。

どうして人は自己検閲をするのかって考えたら、そういう風に作られてるから、と思う。
熱を放出しなきゃならない太陽みたいな存在があるように、熱をいろんなものに変えなきゃいられない草みたいな存在もあって、そして草が消費の連鎖の元になるっていう話じゃないかな。業界は草の扱い方を間違えて色々腐らせてるよね。はたから見ててそんな気がします。

太陽が酸素とでんぷんを作り出したらもう太陽じゃいられないから、芸術家は自己検閲に警鐘を鳴らす。でもそれは同じ芸術家相手に向けられたものだって思う。酸素とでんぷんを作る人がいなくなったら、世界が暑苦しくってしょうがない。
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